清研時報

1983年10月号

浄化槽清掃業の許可はき束裁量か ~市町村長が許可をするときの条件~
  1. 厚生省は、浄化槽清掃業の許可について、どんな解釈をしてきたか
  2. 浄化槽清掃業の許可をき束裁量と云いだしたのは誰か
  3. き束行為とか、裁量行為とは、どんな行政行為をいうのか
  4. 浄化槽法第36条の規定は、き束行為と云えるか
  5. 浄化槽清掃業の許可をするに当たって、清掃にかかる汚泥の処理について考慮しなくてよいか
  6. 浄化槽清掃業の許可申請書には、汚泥の処理を適法に行う証明書の添付が必要
厚生省は、浄化槽清掃業の許可について、どんな解釈をしてきたか
  • こんど浄化槽法ができて、浄化槽清掃業が独立して一本立ちの許可制になりましたね。
  • 法文の文字の上では、なるほど、そうも云えますね。
  • 浄化槽の清掃の許可と、浄化槽の汚泥の収集、運搬の許可が別々に切り離されたため、浄化槽清掃業の許可はき束裁量となり、誰でもやれるようになると云う人がいますが、ほんとですか。
  • ほんとだったら、どうなりますか。誰でも、無制限に、浄化槽清掃業をはじめられるようになったら、業者の間で得意の奪い合いが始まりますよ。料金はどんどん安くなるでしょう。安い料金で採算を合わせるには、作業の手抜きをするほかありませんね。そうなったら、生活環境が悪化するのは火を見るよりも明らかです。そんな結果を招くために、わざわざ浄化槽法をつくったわけではないでしょう。
  • しかし、厚生省では、浄化槽清掃業の許可はき束裁量だから、許可の申請をした者が許可の基準に適合しておれば、市町村長は必ず許可しなければならないと云っているという話を聞きましたが......。
  • そうですか、厚生省では、昭和56年12月20日発行の≪廃棄物処理法の解説≫第4版でも、廃棄物処理法第9条のし尿浄化槽清掃業の許可について、そんな解釈を示していますね。しかし、それは、厚生省の従来の解釈とはだいぶん違っていますよ。
  • どんなに違っていますか。
  • 廃棄物処理法が施行されて間もなく、厚生省環境整備課の担当官が総がかりで≪廃棄物処理法の解説≫を執筆し、昭和47年4月20日に初版を発行していますが、その初版では、「し尿浄化槽清掃業の許可はき束裁量に属する行政処分である」と述べながら、「行政行為は、すべて法規に基づき法規にしたがってなされるのであるが、その法規によるき束の程度、態様は画一的ではない。一般に、自由裁量行為は、行政庁に一定範囲の自由裁量を認めてなされる行為であり、き束裁量行為は、行政庁に裁量の余地のない行為であるとされているが、両者は本質的に異なるものではなく、いずれも、ある程度に法規のき束を受け、反面、ある程度の裁量が認められるのであって、両者の差異は究極的には程度の差であるというのが通説である。」という一般的な学説を附記して、し尿浄化槽清掃業の許可は、ある程度に法規のき束を受けるが、その反面、市町村長にある程度の自由裁量が認められるものだと説明していたんですよ。
  • それが、どうして、市町村長に裁量の余地はないと変わったのですか。その後、法律の一部改正でも行われたのでしょうか。
  • 法律の一部改正はありましたが、それは関係ありません。昭和51年、法律第68号により廃棄物処理法の一部が改正されましたが、そのときの改正は、一般廃棄物処理業の許可の適正化を図るため、欠格条項を設けるなど許可基準を整備するとともに、し尿浄化槽清掃業に関しても、一般廃棄物処理業に準じて許可基準を整備したもので、昭和52年3月26日付の環計第36号・厚生省水道環境部長通知によって明らかなように、その改正によって従来からのし尿浄化槽清掃業の許可の性格に変更をきたすものではありませんでした。
  • それじゃ、いつから、どうして、厚生省は解釈を変えたのですか。
  • 厚生省環境整備課では、昭和54年3月31日に発行された≪廃棄物処理法の解説≫改訂新版―これは第3版に当たるわけですが、その中で、第9条について、「本条第1項に基づく許可申請を行った者が本条第2項に適合している場合には、市町村長は必ず許可しなければならない。本条の許可は、法第7条の一般廃棄物処理業に係る許可と比較して、市町村長の裁量の幅が狭いものとなっている。」と、解説に微妙な変化を見せています。
  • どういうことか、意味がよくわかりませんね。
  • そうですね、どうも、日本語をよく理解していないような解説です。
  • 許可申請をした者が法第9条第2項に適合している場合は市町村長は必ず許可しなければならないというなら、市町村長に裁量の余地は全くないということでしょう。
  • そうですね。
  • 市町村長に裁量の余地は全くないと云いながら、法第9条の許可は一般廃棄物処理業の許可に比べて市町村長の裁量の幅が狭いものとなっているというのは、前後矛盾しているじゃありませんか。
  • そのとおりです。しかし、その時点では、前後矛盾した解説の中にも、し尿浄化槽清掃業の許可は、市町村長に、その幅は狭いながらも、裁量の余地があることを認めているでしょう。
  • なるほど、曖昧ですが、そういうことになりますね。
  • ところが、その後、廃棄物処理法第9条の規定が改正されたわけでもないのに、厚生省水道環境部では、昭和56年12月20日付で発行された≪廃棄物処理法の解説≫第4版で、第9条の許可について、「法第7条の一般廃棄物処理業に係る許可が市町村長の裁量の幅の広い許可であるのに対し、本条第1項に基づく許可申請を行った者が本条第2項に適合している場合には、市町村長は必ず許可しなければならない。」と述べて、市町村長に裁量の余地は全くないという見解を示しています。
  • おかしいですね。最初は、し尿浄化槽清掃業の許可はき束裁量に属する行政処分であるが、き束裁量行為というのは、ある程度に法規のき束を受けるけれども、その反面、市町村長にある程度の裁量が認められるもので、許可申請者が第9条第2項に適合していても、市町村長は必ず許可しなければならないわけではなく、裁量の余地があるという解説をしていたのに、今では、許可申請者が第9条第2項に適合している場合には、市町村長に裁量の余地はなく、必ず許可しなければならないという解説に変えているわけですか。
  • そうです。
  • 厚生省が解説を変えたのは、何故ですか。
  • それがわかりません。厚生省では、し尿浄化槽清掃業の許可に関する解説をくるくる変えながら、なぜ解説内容を変えたかについては、一言もふれておりませんからね。
  • すこし無責任じゃありませんか。
  • 無責任であり、不見識ですよ。
浄化槽清掃業の許可をき束裁量と云いだしたのは誰か
  • 清掃法当時には、汚物取扱業者が浄化槽の清掃と清掃にかかる汚泥の収集、運搬又は処分をやっていましたが、あの頃は、汚物取扱業の許可について、自由裁量とか、き束裁量とかいうような、むつかしい言葉は誰も使いませんでしたね。
  • そうです。清掃法当時は、市町村長が汚物取扱業の許可を与えるかどうかは、清掃法の目的とその市町村が定めている処理計画とに照らして、市町村がその責務である汚物処理の事務を円滑完全に遂行するのに必要適切であるかどうかという観点から決めるべきものだという考え方が定着していましたから、そんな法律用語を口にするような人はいませんでした。
  • いったい、誰が、し尿浄化槽清掃業の許可はき束処分だなどと云いだしたのですか。
  • 昭和47年2月25日に帝国地方行政学会から発行された≪逐条解説廃棄物処理法≫の中で、「き束処分」とか、「自由裁量処分」という文字が使われていますが、それが最初のようです。
  • 現在、ぎょうせいという出版社から、厚生省水道環境部計画課編集の≪逐条解説廃棄物処理法≫という同じ題名の本が出ていますが、関係があるんですか。
  • ぎょうせいという出版社は帝国地方行政学会が商号を変えたものです。現在出ている改訂新版は計画課で編集したものですが、昭和47年2月25日発行のものは、厚生事務官の瀬田公和・江利川毅両氏が執筆したものでした。
  • じゃあ、その瀬田・江利川両氏が、き束処分と云いだしたのですか。
  • 瀬田・江利川両氏は、「し尿浄化槽清掃業の許可は、廃棄物処理法第7条に規定する一般廃棄物処理業の許可と異なり、許可の基準について裁量の余地のない、いわゆるき束処分である。したがって、この基準に適合している限り、市町村長は必ず許可しなければならない。また、廃棄物処理法第7条第3項に相当する規定がなく、かつ、この許可が自由裁量処分でないから、許可に附款を附することはできない。」と述べています。
  • しかし、廃棄物処理法は、その後、昭和51年の改正で、法第9条に法第7条第3項に相当する規定が設けられ、第1項の許可には、期限をつけたり、生活環境の保全上必要な条件をつけることができるようになったじゃないですか。
  • それは後のことで、瀬田・江利川両氏が≪逐条解説廃棄物処理法≫の中で、し尿浄化槽清掃業の許可は、許可の基準について裁量の余地のないき束処分であるから、基準に適合している限り、市町村長は必ず許可しなければならないという個人的な見解を発表した直後に、厚生省環境整備課の全員が総ががりで執筆した≪廃棄物処理法の解説≫が出版され、し尿浄化槽清掃業の許可は、ある程度に法規のき束を受けるが、ある程度の裁量が認められているという厚生省の公式見解を発表したわけです。
  • 勿論、瀬田・江利川両氏は、その厚生省の公式見解に納得したのでしょうね。
  • ≪廃棄物処理法の解説≫の初版は、瀬田・江利川両氏の≪逐条解説廃棄物処理法≫に約2か月おくれて発行されましたが、その初版の′′はしがき′′で、当時の環境整備課長山中和氏は、「本書は環境整備課全員の協力によって生まれたものであるが、執筆については、廃棄物の処理基準、施設の維持管理基準関係等については、森下技官及び片山技官、浄化槽関係については、松井技官、その他の部分ならびに全般的な問題については、林部技官、瀬田事務官および江利川事務官をわずらわした。」と述べています。これを見れば、瀬田・江利川両氏が個人的な見解を引っ込めて、≪廃棄物処理法の解説≫の初版で発表された厚生省の公式見解に従ったものとみるべきでしょう。
  • それじゃ、第9条の許可はき束処分だから市町村長に裁量の余地はないと最初に云いだした瀬田・江利川両氏は、とうの昔に見解を改め、環境整備課の他の担当官たちと共同で執筆した解説書の中で、第9条の許可は、市町村長にある程度の裁量の余地があることを認めたことになりますが、それにもかかわらず、最近になって、厚生省の担当官たちは、とっくにお蔵入りしていた筈の訂正前の瀬田・江利川両氏の個人的な見解を持ち出してきたということになりますね。
  • そういうことです。
き束行為とか、裁量行為とは、どんな行政行為をいうのか
  • き束行為とか、裁量行為とか云ってもピンときませんが、どんな違いがありますか。
  • 昨年亡くなった田中二郎博士は、行政法の権威者として知られた学者でしたが、田中博士は、その著書の中で、「行政行為は、すべて法に基づき、法に従って行われなければならないが、その法によるき束の程度・態様は、場合によってまちまちである。法がその要件・内容について、ほとんど完全に行政をき束し、行政行為は、ただ、法の具体化又は執行に止まる場合があり、また、法が、公益目的の実現をめざす行政の特殊性に鑑み、行政庁に対し、行政行為をするかどうか、何時どういう行政行為をするか等について、自由裁量の余地を認めており、行政庁が、その裁量によって行政行為をする場合もある。前者をき束行為といい、後者を広く裁量行為と呼ぶ。ただ、き束行為といい裁量行為といっても、その法に対する関係において、両者の間に本質的な差異があるわけではなく、現実には、いずれの場合においても、ある程度に法のき束が存するとともにまた、ある程度に裁量の余地があるのであって、その間には単に程度の差異があるにすぎない。」と説いています。
  • 学者の話は、むつかしくて、ちょっと聞いただけでは、よく飲み込めませんね。もっとわかりやすく、何か例を挙げて説明してくれませんか。
  • そうですか、それじゃ、元衆議院地方行政委員会主任調査員の崎川謙三氏と、参議院法務委員会主任調査員の小島和夫氏、それに参議院法制局第1部第2課長の松沢浩一氏の3氏が執筆した≪やさしい行政法≫という本が法学書院から出版されていて、本の題名どおり、行政法をやさしく解説していますので、その≪やさしい行政法≫の解説を引用して説明することにしましょう。たとえば、道路交通法において、自動車の運転免許は18歳未満の者には与えないとか、公安委員会が行う運転免許試験に合格した者に対して免許を与えるとか、免許は運転免許証を交付して行うというように定められていれば、自動車の運転免許という行政行為を行う場合には、免許を申請した者が、18歳未満であるかどうか、試験に合格しているかどうかを判断するだけであって、その要件は、はっきりしていますね。公安委員会が免許を与えるについて、申請者の適格性を考慮したり、妥当性の有無について考えたりする余地はありません。法令の定める要件をみたしておれば、ほとんど機械的に免許を与えることができるといってもよいでしょう。このような場合には、行政庁は、要件に該当するかどうかをハッキリさせるために、法令に定める要件を解釈する必要もなければ、法令の意味を考え、判断する必要もない。18歳未満の者に運転免許を与える余地は全くないし、免許証の交付以外の方法によって公安委員会が免許を与えるようなことは全くありません。もしも、18歳未満の者に免許を与えたり、免許証の交付以外の方法で免許を与えたとすれば、それは違法な行政行為となります。こういう種類の行政行為をき束行為と呼んでいます。ところが、法令の中には、誰が読んでも、一目瞭然で同じ意味に解釈されるようにつくられているものばかりではありません。たとえば、道路法によると、道路に雪よけとかアーケードのような施設を作るため、道路占用の許可を受けた者に対して、道路管理者は、「道路の構造又は交通に著しい支障が生じた場合」には、その施設の改築または移転などをすることを命じることができるものとされていますが、ここにいう「著しい支障」というのはどんな状態を指すのかというと、おそらく誰でも、一言のもとに説明することは困難でしょう。単に「道路の構造または交通に著しい支障を生じた場合」とだけしか定めてありませんから、どんな場合が法文にいう支障を生じた場合であるかは、法文の上では不明確であり、どういう場合に改築命令を行い、また、どんな場合に移転命令を行うこととしているのか、その要件や行為の内容は、すべて行政庁の判断に委ねているわけです。このように、法令の意味内容が明確でないものを、行政庁が確定的に決めることを、行政庁の裁量と呼んでいます。
  • ほかに、行政庁の裁量を認めたものに、どんなものがありますか。
  • 旅券法には、「外務大臣において、著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」に対しては、旅券を発給しないことができる旨の規定があり、「日本国の利益または公安を害する行為」とはどのような行為であるかについては、行政庁である外務大臣の判断にまかされています。また、温泉法でも、「都道府県知事は、温泉のゆう出量、温度若しくは成分に影響を及ぼし、その他公益を害するおそれがあるとき」のほかは、温泉をゆう出させる目的で土地を掘さくすることの許可を与えなければならないと定めており、ここでも、「公益を害するおそれ」とは何であるかの認定は、知事の判断にまかせています。
浄化槽法第36条の規定は、き束行為と云えるか
  • 学者や専門家の意見は一応わかりましたが、こんど公布された浄化槽法では、浄化槽清掃業の許可は、どうなっていますか。
  • 浄化槽法では、浄化槽清掃業の許可の基準を第36条に定めていますが、これは、法文を読めばわかるように、許可をしてはならない場合を法定したものであって、第1号及び第2号に適合している場合は、必ず許可しなければならないというわけのものではありません。
  • しかし、廃棄物処理法第9条も、同じような表現でしたが、厚生省では、許可の基準に適合している場合は、必ず許可しなければならないものだと指導してきたでしょう。
  • 今までのことは済んだことですから仕方ありませんが、新たに公布された浄化槽法では、法令の解釈、運用に当たって、この法律の目的である「生活環境の保全及び公衆衛生の向上に寄与する」には、どうしたらよいかということを基準にして判断し、いやしくも、法の目的に背く結果を招くようなことがないように心がけねばなりませんね。
  • 浄化槽法では、浄化槽清掃業の許可申請をした者が、法第36条第1号と第2号に適合している場合でも、市町村長は必ず許可しなければならないわけではないという根拠がありますか。
  • 必ず許可しなければならないものでしたら、法律の条文がそうなっている筈です。たとえば、中小企業等協同組合法では、組合設立の認可について、「行政庁は、組合の設立にあっては、次の各号の1に該当する場合を除き、第1項の認可をしなければならない」と定めてありますし、温泉法でも、温泉ゆう出目的の土地掘さくの許可について、「都道府県知事は、温泉のゆう出量、温度若しくは成分に影響を及ぼし、その他公益を害するおそれがあると認めるときの外は、前条第1項の許可を与えなければならない」と定められていますよ。
  • なるほど、浄化槽法第36条の条文とは表現が違っていますね。浄化槽清掃業の許可の基準では、市町村長は、許可の申請が次の各号に適合していると認めるときでなければ「許可をしてはならない」となっていますね。
  • そこで、さきほどお話ししました行政法の専門家たちの解説を念頭において、浄化槽法第36条第2号に定められた欠格条項について、1つ1つ、き束行為と解すべきものか、裁量行為と解すべきものか、果して、市町村長に裁量の余地が有るのか、無いのかを、慎重に検討してみることにしましょう。先ず、イの「この法律又はこの法律に基づく処分に違反して罰金以上の刑に処せられ、その執行を終わり、又は執行を受けることがなくなった日から2年を経過しない者」は、許可をしてはならないという規定は、どうですか。
  • これは、2年という期間がハッキリ定められていて、市町村長がその期間を1年とか1年半とかに短縮することは認められていませんから、市町村長に裁量の余地はありませんね。
  • では、次に、ロの「この法律に定めるところにより浄化槽清掃業の許可を取り消され、その取消しの日から2年を経過しない者」は、許可をしてはならないという規定は、どうですか。
  • やはり、市町村長に裁量の余地はないでしょう。
  • 次に、ハの「浄化槽清掃業者で法人であるものが許可を取り消された場合において、その処分のあった日の前30日以内にその浄化槽清掃業者の役員であった者で、その処分のあった日から2年を経過しないもの」は、許可をしてはならないという規定は、どうですか。
  • これも、裁量の余地はありますまい。
  • そうですね。30日とか2年とか定められている期間を、市町村長が変更することは認められていませんね。次に、ニの「この法律に定めるところにより事業の停止を命ぜられ、その停止の期間が経過しない者」は、許可をしてはならないという規定は、どうですか。
  • 同じように、市町村長に裁量の余地はないでしょう。
  • 次に、ホの「その業務に関し不正又は不誠実な行為をするおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」は、許可をしてはならないという規定は、どうですか。
  • これは、イからニまでの規定とは違いますね。
  • そうです。この条文では、「その業務に関し不正又は不誠実な行為」とは何かということを、ハッキリと示していませんね。
  • 市町村によって事情が違いますし、いろいろのケースがあるでしょう。
  • そのとおりです。市町村によっていろいろと事情が異なっていますから、何が「その業務に関し不正又は不誠実な行為」に該当するかはまちまちで、一概に、これだと決めてかかれませんね。
  • そうでしょう。
  • ホの条文を読みますと、許可申請者が、その業務に関し不正又は不誠実な行為をするおそれがあると認めるか、認めないかは、行政庁である市町村長の判断に委ねていることがわかりますね。さっき≪やさしい行政法≫の解説を引用してお話ししましたが、このホの条文も、道路法第71条とか、旅券法第13条とか、温泉法第4条とかに定められている条文と同じように、不確定概念―つまり、意味内容が明確でない表現を使って、特定の行政行為―許可又は不許可の処分を行うことを、行政庁である市町村長の判断に委ねているわけですから、裁量行為だということがハッキリしていますね。
  • なるほど、ホの規定は、き束行為ではありませんね。
  • ところが、厚生省の担当官や、市町村の担当者の中には、浄化槽清掃業の許可はき束処分だから、市町村長に裁量の余地はなく、申請者が許可の基準に適合している場合は、必ず許可しなければならないものと勘違いしている人も居るようですから、もう少し検討することにしましょう。市町村によって事情は違うようですが、浄化槽の清掃業務に関する不正又は不誠実な行為には、一般的には、どんな行為がありますか。
  • 過去の例では、手抜き作業や、浄化槽から抜き取った汚泥の不法投棄です。
  • 手抜き作業や、不法投棄は、どんな場合に行われますか。
  • それは、きまって、業者が競合したときです。業者が競合すれば、どうしても得意の奪い合いになりますが、得意を奪うための唯一の手段は料金を安くすることです。料金を安くすれば、いきおい、安い料金に見合う程度にまで作業の手抜きをするか、汚泥を手近かなところに不法投棄するかしなければ、採算がとれません。
  • 作業の手抜きなんかしていると、お得意さんから仕事を断られるようなことはありませんか。
  • そんなことはありません。浄化槽の清掃は、散髪やパーマネントとは、わけが違います。散髪やパーマネントは、いくら安くても、仕事が乱暴だったり、技術が下手だったりすると、お客さんは来てくれなくなりますが、浄化槽の清掃は、お客さんが作業に立ち合うわけではありません。仮に立ち合ったとしても、作業の手抜きをしたどうかわかるような人は殆どいません。安ければ安いほど喜ばれるのが実情です。
  • 立入検査や、定期検査で、手抜き作業がバレて、問題になったことはありませんか。
  • そんな話は聞いたことがありません。保健所は人手不足で立入検査なんかできませんし、定期検査は、検査を受けなくても別に処罰されるわけではありませんから、検査を受ける人は数少ない有様です。
  • 業者を競合させれば、得意の奪い合いは避けられず、その結果、手抜き作業や不法投棄などの不正行為が行われ、いきおい、生活環境は悪化するということになりますね。
  • そうです。だから、担当者が熱心だった市町村では、積極的に行政指導をして、複数の業者を一社にまとめさせたり、区域を分けて業者を指定したりしたわけです。
  • 廃棄物処理法第9条第3項の規定は、今度できた浄化槽法の第35条第2項の規定と全く同文ですが、浄化槽清掃業の許可には、「生活環境の保全及び公衆衛生上必要な条件を付することができる」と定められていますから、手抜き作業や不法投棄を防止するために、業者に企業合同を指導するようにしたり、区域を分けて業者を指定したりしても、それは、やむを得ないことですね。
  • ええ、そうするよりほかないでしょう。
  • それじゃ、市町村が、過去の苦い体験に懲りて、苦心さんたんの末、業者の企業合同を実現したり、1区域1業者制を採用しているところに、申請者が許可の基準に適合している場合は市町村長は必ず許可しなければならないという解釈に基づいて、新規業者が次から次にあらわれたとしたら、どういうことになりますか。
  • そうなったら大変です。新規に許可を受けた業者は、得意先ゼロの状態からスタートするわけですから、既存業者の得意を奪わないかぎり仕事にはありつけません。得意を奪うには、料金を安くする以外に方法がないことは、さきほどお話ししたとおりです。
  • 料金を安くしなければ既存業者の得意を奪うことは出来ないが、料金を安くすれば、安い料金で採算を合わせるためには、手抜き作業や不法投棄をせざるを得ない。しかも浄化槽の清掃は散髪やパーマネントとはわけが違って、仕事の出来具合が人目につかないため、住民の側では料金を安くする業者を選んで仕事をさせる。監督官庁では業者の作業にいちいち立合うことなど出来るものではない。こうして、浄化槽は正常な機能を維持することが出来なくなり、不適正な放流水のために生活環境は悪化してゆく。これは、多くの市町村が体験しているところですね。
  • その体験のない市町村は、殆んどないでしょう。
  • そうしますと、市町村長が、過去の体験から推理して、現在、浄化槽の清掃事業が円滑に行われているところへ、新たに業者に許可を与えれば、得意の奪い合いが始まり、新規業者は手抜き作業や不法投棄などの不正行為をするおそれがあると判断したとしても、不思議はありませんね。
  • そう判断するのが当然でしょう。
  • その判断を市町村長に委ねているのが、このホの規定ですよ。廃棄物処理法第9条第2項第2号で準用する同法第7条第2項第4号ハの規定も、全く同文の規定です。浄化槽清掃業の許可は、市町村長に全く裁量の余地はないという解釈が誤りであることがわかるでしょう。
  • お話しはわかりますが、あちこちの裁判で、浄化槽清掃業の許可申請を不許可にした行政側が負けているようですが、どうしてでしょうか。
  • 都城市や、田川市や、豊田市などの裁判のことでしょう。いずれも、第1審で行政側が敗訴して、現在、控訴審で争っていますが、問題は、不許可処分に付した理由と行政側の主張の内容です。第1審の判決文を見たところでは、どうも争点が急所をはずれているように思われます。これらの訴訟事件については、いずれ改めて特集号で検討するつもりですが、ハッキリ云えることは、第1審で行政側が敗訴した例が2、3出たからといって、浄化槽清掃業の許可がき束行為だと確定したわけではないということです。
  • それじゃ、浄化槽清掃業の許可をしなかった場合、裁判になったら、行政側が必ず負けると決まったわけではないのですか。
  • そうですよ。ホの規定は、さきほどから行政法の専門家たちの解説を引用して説明しましたように、浄化槽清掃業の許可が市町村長の裁量行為であることを証明しておりますし、訴訟になった場合、不許可処分に付した理由が妥当であり、主張の内容が争点を誤ることがなければ、行政側が敗訴する筈はありません。
  • その訴訟事件の特集号を、早く出して下さい。
  • そうしましょう。では、次に移ります。ヘの「廃棄物処理法に定める一般廃棄物処理業に関する許可の規定や、一般廃棄物の投棄禁止の規定に違反して、罰金以上の刑に処せられ、その執行を終わり、又は執行を受けることがなくなった日から2年を経過しない者」は、許可をしてはならないという規定は、どうですか。
  • 2年という期間が決めてありますから、市町村長が裁量する余地はないでしょう。
  • トの「廃棄物処理法の規定により一般廃棄物処理業の許可を取り消され、その取消しの日から2年を経過しない者」は、許可をしてはならないという規定は、どうですか。
  • やはり、裁量の余地はありますまい。
  • チの「廃棄物処理法の規定により一般廃棄物処理業の許可を取り消されたものが法人である場合において、その処分のあった日前30日以内にその法人の役員であった者で、その処分のあった日から2年を経過しないもの」は、許可をしてはならないという規定は、どうですか。
  • これも、裁量の余地はないでしょう。
  • リの「浄化槽清掃業に係る営業に関し、成年者と同一の能力を有しない未成年者で、その法定代理人がイからチまでの1に該当するもの」は、許可をしてはならないという規定は、どうですか。
  • 法定代理人が、イからニまでと、ヘからチまでの1つに該当するものについては、裁量の余地はありませんが、ホに該当するかどうかについては、市町村長が判断して決めなければならないでしょう。
  • そうですね。では、ヌの「法人でその役員のうちにイからリまでの1に該当する者があるもの」は、許可をしてはならないという規定は、どうですか。
  • 役員のうちに、イからニまでと、ヘからリまでの1つに該当する者があるものについては、裁量の余地はありませんが、役員のうちにホに該当する者があるかどうかについては、やはり、市町村長が判断して決めることになるでしょう。
  • 以上で、浄化槽法第36条第2号に定められた欠格条項の全部について検討しましたが、こうやって、1つ1つを分析しますと、浄化槽清掃業の許可は市町村長に裁量の余地は全くないという解釈が誤りであることが理解できるでしょう。
  • たしかに、市町村長の裁量に任されているところもありますね。
  • そうです。浄化槽法は、浄化槽清掃業の許可の申請に対し、市町村長が許可するか、不許可にするかを決めるに当たっては、生活環境の保全及び公衆衛生の向上に寄与することが出来るか、出来ないかを基準として判断しなければならないことを、条文の上で明らかにしているわけです。
浄化槽清掃業の許可をするに当たって、清掃にかかる汚泥の処理について考慮しなくてよいか
  • 浄化槽法では、浄化槽の清掃というのは、「浄化槽内に生じた汚泥、スカム等の引出し、その引出し後の槽内の汚泥等の調整並びにこれらに伴う単位装置及び附属機器類の洗浄、掃除等を行う作業」のことをいい、その清掃を行う事業を浄化槽清掃業ということになっていますね。
  • そうです。法第2条でそのように定めています。
  • 浄化槽法には、「市町村は、その市町村の区域内で収集された浄化槽内に生じた汚泥、スカム等について、その市町村のし尿処理施設で処理するように努めなければならない」という規定はありますが、浄化槽から引き抜いた汚泥、スカム等を収集して市町村のし尿処理施設まで運搬する事業については、別に規定を設けていないようですね。
  • ええ、浄化槽法には、浄化槽の清掃にかかる汚泥の収集・運搬についての規定はありません。昭和58年5月18日付の官報に、『本号で公布された法令のあらまし』という欄がありますが、その欄を見ますと、浄化槽法について、第6章関係の"浄化槽清掃業の許可"の最後のところに、括弧して、(浄化槽から引き抜いた汚泥、スカム等の収集・運搬については、現行法どおり廃掃法第7条の許可を必要とする。)と付記されています。廃棄物処理法第7条に定める一般廃棄物処理業の許可を受けた者でなければ、浄化槽の清掃にかかる汚泥等を収集し、運搬することは出来ないわけです。
  • 浄化槽法は、浄化槽に関する法律を一元化するためにつくるのだということでしたが、今までは、浄化槽の保守点検から、清掃、清掃にかかる汚泥等の収集・運搬、処分までの作業を廃棄物処理法という1つの法律で規定していましたが、浄化槽法ができたために、それらの作業が浄化槽法と廃棄物処理法の2つの法律に分断されることになったわけですね。
  • そういうことです。
  • 浄化槽清掃業の許可をするか不許可にするかを判断するに当たっては、清掃の際に浄化槽から引き抜く汚泥等を収集し運搬するために必要な一般廃棄物処理業の許可を受けているかどうかということは、関係のないことですか。
  • そんなことはありません。
  • しかし、日本環境保全協会で発行している環境保全タイムズの本年7月号には、厚生省に対して、「清掃し抜き取った汚泥・スカムを運搬処理できなければ、本当の清掃ではない筈だから、浄化槽清掃業だけの許可というのは成り立たないのではないか」と質問したのに対して、「運搬はできないけれども、浄化槽のあるその場での清掃はよい」という答えだったという意味のことが報道されていますよ。
  • それは、法律の条文の中の『清掃』という字句を解釈すれば、そういうことが云えるということじゃないですか。
  • いや、厚生省では、浄化槽清掃業の許可をするに当たっては、その許可申請者が、清掃の際に浄化槽から抜き取る汚泥を収集・運搬することができるかどうかということにこだわる必要はないという見解をとっているという話しですよ。
  • もしも、厚生省の現在の担当官が、そんな考えをもっているとしたら、それは、厚生省の従来の指導方針を無視したもので、法の目的に背く結果を招くおそれがありますから、改めてもらわなければなりませんね。
  • やはり、厚生省の考え方は間違っていますか。
  • いや、厚生省の考え方が間違っているのじゃなくて、そんなことを云う現在の担当官が間違っているんですよ。以前は、浄化槽清掃業の許可を受けたものは、浄化槽の清掃にかかる汚泥を収集し運搬するについては、別に一般廃棄物処理業の許可を受けなくてもよいことになっていましたが、昭和53年厚生省令第51号により、廃棄物処理法施行規則の一部が改正され、浄化槽清掃業者が浄化槽の清掃にかかる汚泥の収集・運搬を行うには、一般廃棄物処理業の許可も受けなければならないことになりました折に、その改正省令の施行について、当時の環境整備課長は、各都道府県・各政令市の担当者に宛てた同年8月21日付の環整第90号通知で、「規則第2条第2号の改正により、し尿浄化槽の清掃と、当該し尿浄化槽の清掃にかかる汚泥の収集、運搬又は処分を併せて行おうとする者は、廃棄物処理法第9条第1項の許可と併せて法第7条第1項の許可を要することとなったので、その適格性を審査するに当たっては、し尿浄化槽の清掃については法第9条第2項に規定する許可要件との適合性を、し尿浄化槽の汚泥の収集、運搬又は処分については法第7条第2項に規定する許可要件との適合性を併せて判断しなければならないものであるので、この旨管下市町村に周知徹底されたいこと」と、ちゃんと指示していますよ。
  • しかし、厚生省では、浄化槽の清掃の作業と、清掃にかかる汚泥の収集、運搬の作業とは、切り離して考えているんじゃないですか。
  • 浄化槽の清掃の作業と、清掃にかかる汚泥の収集、運搬の作業は、一体的に実施するのが通例で、それらの作業を分断すれば、生活環境の保全上支障が生ずるおそれがあります。浄化槽の清掃の作業と、その清掃にかかる汚泥の収集、運搬の作業とを切り離して考えるのは、浄化槽清掃事業の実態を知らない者の発想で、いわゆる机上の空論というやつです。あなたは、シェイクスピアが書いた『ベニスの商人』という物語りを覚えていませんか。
  • よく覚えていませんね。
  • ベニスの商人アントニオは、友人バッサニオから金を貸してくれと頼まれ、手許に持ち合わせがなかったので、高利貸のシャイロックから借りて用立ててやったのですが、そのとき、アントニオは、冷酷なシャイロックの云うがままに、もし期日に金を返済することが出来なかった場合は、身体の肉を1ポンド切り取って支払うという証文に署名していました。アントニオには返済する当てがあったのですが、その当てがはずれて返済が出来なくなったため、賃金の返済を求めた裁判で、シャイロックは、証文を盾にとり、1ポンドの肉を切り取ることを要求しました。ところが、事情を知って、弁護士に変装して出廷したバッサニオの愛人ボーシャは、シャイロックに提出させた証文を見て、「この証文の品は没収されるべきである。シャイロックは合法的に1ポンドの肉をアントニオの心臓に近いところから切り取る権利がある」と認めた上で、「しかし、この証文には一滴の血もお前に与えるとは書いてない。文面は明らかに『肉1ポンド』とある。もし肉を切り取る際に血を一滴たりとも流したら、お前の土地も動産も法律によってベニス政府に没収されることになるだろう」と主張しました。シャイロックはついに1ポンドの肉を切り取ることが出来なかったばかりか、市民の命を奪おうと計ったかどにより処罰されることになりました。浄化槽の清掃も、これと同じです。浄化槽清掃業の許可を受けていても、一般廃棄物処理業の許可がなければ浄化槽の清掃にかかる汚泥を収集し、運搬することは許されません。だからといって、浄化槽から引き抜いた汚泥をその場に放置することもできません。事実上、浄化槽の清掃を業として行うことは出来ないわけです。
  • 自分で汚泥の収集、運搬が出来なければ、一般廃棄物処理業者に頼んで汚泥の収集、運搬をして貰ったらよいという考えは、どうですか。
  • 机上の案としては成り立つでしょう。ところが、現実問題としては成り立ちませんね。一般廃棄物処理業者には仕事の予定があり、その予定に従って仕事をしているものです。浄化槽清掃業者からの連絡を待って仕事をするというような呑気なことをしていたのでは食べてゆけませんよ。
  • それはそうですね。ところで、環境保全タイムズの7月号によりますと、浄化槽清掃業の許可に関して厚生省に陳情した内容の説明の中で、「き束裁量になるという理由はどうしてでしょうかと尋ねたのに対して、課長さんの答えは、汲み取り便所の汲み取り等は市町村の固有事務であるが、浄化槽は、住民が、汲み取りより水洗の方がよいというような考えで自由意志でつけたものであるから、その管理や清掃などは住民の判断に委ねるのが当然で、自由に業者を選ばせるのだということだった」と伝えていますが、こんな課長さんの考え方であれば、新規の許可業者がどんどん出てくるおそれはありませんか。
  • ほんとに環境整備課長がそんな考えをもっているのでしょうか。もし、そうだとすれば、その考えは変えてもらわなければなりませんね。トイレを汲み取り式にするか浄化槽にするかということは、応接間や寝室を古来からの建築様式である日本式にするか、最近はやりの洋式にするかというのとはワケが違いますよ。応接間や寝室なんかは、日本式であろうと洋式であろうと、その管理や掃除は自分自身でやっても、誰かに頼んでやってもらっても、いっこうに構いません。ところが、トイレの場合は、汲み取り式の便所であれば、市町村が、その便所に溜まったし尿を、生活環境の保全に支障が生じないうちに収集し、運搬し、処分しなければならないことが法律で定められています。浄化槽であれば、住民が、厚生省令で定めるところにより、定期的に浄化槽の保守点検及び清掃をしなければならないことが法律で定められています。そして、住民が自分自身で浄化槽の保守点検をしたり清掃をすることができない場合には、法令の定めるところによって資格を与えられている業者に、委託しなければならないように決められています。自由営業でやっている業者を勝手に選べばよいというようなものじゃありません。
  • 課長さんのご意見は、住民に、清掃業の資格をもった業者を自由に選ばせるということでしょう。
  • 住民に自由に清掃業者を選ばせるといいますが、浄化槽清掃業を行おうとする者は、市町村長の許可を受けなければならないことになっていますね。そして、市町村長は、許可をするに当たっては、法で定める許可の基準に適合しないものについては許可をしてはならないことになっているでしょう。住民は、市町村長が許可を与えた業者にしか委託できないようになっているじゃありませんか。
  • そうですね。市町村長が1名の業者だけに許可を与えているところでは、住民は、その業者に委託するほかありませんね。
  • そういうことです。本末を転倒してはいけません。浄化槽清掃業の許可は、住民の自由意志による選択ができるように、よりどりみどりといった感じで多勢の者に与えるようにはなっていません。市町村は、法の目的である生活環境の保全及び公衆衛生の向上をはからなければなりません。過去に苦い体験をもっている多くの市町村では、手抜き作業や不法投棄を招くことが明らかな複数の業者による競合は避けるものと思われます。
浄化槽清掃業の許可申請書には、汚泥の処理を適法に行う証明書の添付が必要
  • さきほどのお話しでは、廃棄物処理法が施行された直後に発行された環境整備課全員の執筆による《廃棄物処理法の解説》の初版では、浄化槽清掃業の許可はき束裁量に属する行政処分であるが、き束裁量行為というのは行政庁に裁量の余地のない行為ではなく、ある程度に法規のき束を受けるが、反面、ある程度の裁量が認められるものであると説明していたのに、その後、浄化槽清掃業の許可は、一般廃棄物処理業にかかる許可と比べて市町村長の裁量の幅が狭いものとなっているという表現に変わり、更に、最新版で、浄化槽清掃業の許可申請を行った者が法第9条第2項に適合している場合には、市町村長は必ず許可しなければならないという説明に変わったわけですね。
  • そうですよ。
  • そんなにくるくると変わったのでは困りますね。
  • ですから、勝手に解釈を変えないようにしなければなりません。浄化槽法では、清掃業の許可を受けようとする者は、厚生省令で定める申請書と添付書類を市町村長に提出しなければならないと定めていますので、その許可申請書に、申請者が一般廃棄物処理業の許可を受けている場合は、その許可証の写しを添付しなければならないこととし、申請者が一般廃棄物処理業の許可を受けていない場合は、その許可を受けている者が、浄化槽の清掃にかかる汚泥の収集、運搬の作業を引き受けることを約定したことを示す書面を添付しなければならないこととし、その旨を厚生省令で規定しておくべきでしょう。そうすれば、省令を改正しない限り、浄化槽の清掃作業と清掃にかかる汚泥の収集、運搬作業との一体性は確保され、また、許可申請書に添付する書類がそろっていなければ、書類不備ということで突き返されることになります。
  • 浄化槽はずいぶん前から全国的に出回っていますし、どこの市町村でも、既に設置されている浄化槽の汚泥の処理については一定の計画の中に含め、これが収集、運搬を行う業者については、その計画に基づいて許可を与え、現に営業を続けているのですから浄化槽法が施行されても、市町村長が新規業者をどんどん許可するようなことはないでしょうね。
  • 希望的な観測は禁物です。厚生省令でハッキリ決めておく必要があります。さもないと、後で吠えづらをかかねばならぬかもしれませんよ。

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