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清研時報

1987年11月号

委託の基準を無視して賠償金を支払わされた自治体の実例
~宮崎県東臼杵郡の3北町の場合~
  1. 無視された村議会の決議
  2. 行政庁の怠慢
  3. 町長が犯した約定違反
  4. 不公平な損失補償
  5. 損害賠償請求事件のてんまつ
 
  • 以前は、市町村のし尿処理施設が整備されるまでは、許可申請をする者に対して許可も与えずに放っておいて、し尿処理施設が出来上がったら、それまでその市町村の処理区域内でし尿の収集、運搬、処分を業として行ってきた業者たちの申請には眼もくれず、市町村長の個人的な後援会員や、市町村議会議員の縁故の者で、し尿処理について全く経験のない者に委託したり、許可を与えたりする例が珍しくなかったのですが、最近でも、既存業者によってし尿の収集、運搬が円滑に、適正に実施されているのに、新たに業者を追加して委託したり、許可したりする市町村があるようですね。
  • ええ。現在でも、法律を軽視する風潮はなかなか改まりませんね。
  • その法律軽視がわざわいして、住民たちの血税の中から賠償金を支払わされた自治体もあるようですが、勝手なことをすればタダでは済まないということを知ってもらうために、2、3実例を紹介してくれませんか。
  • それでは、廃棄物処理に関する規定を理解していなかったばかりに、処置を誤り、補償金や賠償金を支払わねばならなかった例として、最初に、宮崎県東臼杵郡の3北町の例を紹介することにしましょう。
無視された村議会の決議
  • 3北町というのは、宮崎県のどのあたりにあるのですか。
  • 3北町という町があるのではありません。宮崎県の北部にあって、延岡市を囲む形で隣接している北方町、北川町、北浦町の3か町のことです。関係者の間ではこの3か町を総称して3北町と呼んでいますので、ここでも3北町と呼ぶことにしましょう。
  • その3北町というのは、どんな町ですか。
  • 北方町が町制を施行したのが昭和45年11月3日、北川町と北浦町が町制を施行したのが昭和47年11月1日で、第1次産業を主体としたところです。その3北町がまだ村制をしいていた昭和41年8月から、延岡市に本店事務所を構え、蓑田三幸氏を代表取締役とする延岡浄化槽有限会社が、住民の依頼を受けて、し尿の収集、運搬、処分を業として行ってきましたが、その当時はまだ3北町の区域内に特別清掃地域に指定されたところはありませんでした。
  • それでは、汚物取扱業の許可はいらなかったのですね。
  • しかし、県下の他の市町村のなかには、特別清掃地域に指定されていない区域についても、条例を定めて汚物取扱業の許可を与えているところがあったので、延岡浄化槽有限会社では、3か町に対して、それぞれに汚物取扱業の許可を申請したのですが、3か町とも、し尿処理施設が整備されていないのだから正式に許可をすることはできないとして、許可を与えないまま、同社が町の区域内で汚物取扱業を行っているのを放置していたばかりでなく、役場や、学校、公民館などのし尿の処理を同社に依頼する始末でした。
  • 町が公共施設のし尿の処理を業者に依頼しながら、また、住民のなかに、し尿の処理を業者に依頼しなければならない人たちが居ることを承知していながら、し尿処理施設が整備されていないことを口実にして、正式の許可をすることはできないなどと云うのは、無責任な話ですね。
  • そこで、やむなく延岡浄化槽有限会社では、北方村議会に対して『し尿処理業指定について』の陳情をしたところ、北方村議会では昭和42年11月10日の村議会でその陳情を採択することを決定し、議長名で、同月15日付北議第111号をもって正式にその旨を同社に通知してきました。ところが、村議会の決議にもかかわらず、北方村長は依然として許可を与えませんでした。
  • 汚物取扱業の許可は市町村長の自由裁量に委ねられているとはいえ、市町村長の恣意独断を認めているわけではなく、まして、村長が村議会の決議を無視するというのは、おだやかではありませんね。
  • 延岡浄化槽有限会社の蓑田社長は、しばしば担当課長を訪ね、村長にも会って陳情を続けたそうですが、村長は「担当課長に一任している。」と云い、担当課長は、「村議会で決議していることだし、係としても指定業者として認めていることだから、ほかから入ってくる業者がいたら厳重に取り締る。村として完備した処理場を持たないので、正式の許可は出せないが、近いうちになんとかするつもりでいる。なにぶんよろしく頼む。」と繰り返すばかりだったということです。
行政庁の怠慢
  • 3北町が特別清掃地域の指定を受けたのは、いつ頃のことですか。
  • 北方町の川水流、曾木の一部、北川村の熊田、北浦村の古江、市振、宮野浦が特別清掃地域に指定されたのは昭和45年12月1日のことです。
  • それでは、3北町は、その昭和45年12月1日から、清掃法第6条第1項の規定に従い、特別清掃地域に指定された区域内の土地又は建物の占有者によって集められた汚物を一定の計画に従って収集し、これを処分しなければならないこととなったのですから、処理施設が整備されていないからといって、し尿処理の義務が免除されるわけではないことを自覚すべきでしたね。
  • ところが、3北町は、いずれも、直営事業としてし尿の処理をしようともせず、清掃法第6条第2項の規定に従って市町村以外の者に委託することもせず、役場や、学校、公民館などのし尿の処理を延岡浄化槽有限会社に依頼していながら、許可の申請を続けている同社に対して、同法第15条第1項に基づく汚物取扱業の許可を与えようともしませんでした。
  • 清掃法が廃棄物処理法に改められた後でも許可は出さなかったのですか。
  • ええ。清掃法を全面的に改正した廃棄物処理法が施行され、従来の特別清掃地域の指定が廃止されて、市町村の一般廃棄物の処理区域が広げられたのは昭和46年9月24日のことでしたが、その後も、3北町……その当時は北方町、北川村、北浦村の3か町村では、やはり、一般廃棄物処理業の許可を与えないまま、し尿の収集、運搬、処分に従事させていました。
  • 法律軽視というよりも、法律無視といわねばなりませんね。
  • 宮崎県では、廃棄物処理法が施行された直後に、県の環境保健部長が、県下の市町村長宛に、昭和46年9月30日付で通知を出し、その中で、
    「一般廃棄物の収集、運搬及び処分に関する業務は、その責務が市町村にあるので、これらの業務は、本来、直営若しくは委託によって行われるべきであるから、現在この体制をとっていない市町村においては、早期に直営若しくは委託によって行うよう検討されたいこと。一般廃棄物処理業者の乱立は、過当競争によって種々の弊害を伴った事例もあるので、委託等未実施の市町村においては、将来の委託実施を前提に、処理計画に見合う最小限度の許可業者にとどめておくよう配慮すること。」
    と、県下の実情をふまえて適切な指導をしていたのですから、3北町でも、それぞれ、その処理区域内の一般廃棄物処理について一定の計画を定め、その計画に従って自ら直営事業として処理するか、さもなければ昭和41年8月以来3北町の処理区域内でし尿の収集、運搬、処分を業として行ってきた唯一の業者である延岡浄化槽有限会社に対して、その業務を委託すべきでした。もしも委託することが困難な事情があったとすれば、同社に一般廃棄物処理業の許可を与えて、その業務を代行させねばなりませんでした。しかし、3北町では、県の環境保健部長の折角の指導にもかかわらず、廃棄物処理法の規定を無視し、地方公共団体として果さねばならない務めを怠ったのです。
  • まさに行政庁の怠慢というほかありませんね。
町長が犯した約定違反
  • その当時、3北町ではし尿処理施設が整備されておらず、僅かに北川町が延岡浄化槽有限会社の申し入れを受けて、昭和45年と46年に町費で素掘りの貯溜槽2か所を設置しただけで、北方、北浦両町では、住民が排出したし尿を処理するための処理場を設けなかったため、延岡浄化槽有限会社は、同社の負担で9か所に素掘りの貯溜槽を設けて処理してきました。
    ところが、延岡浄化槽有限会社が北方町のし尿を処理するために設置していた貯溜槽が、いずれも次々に満杯となり、昭和47年春には新しく貯溜槽を設置するための土地の確保がむずかしくなったので、北方町に実情を訴えて相談したところ、北方町では、暫定措置として、隣接している日の影町の許可業者岩本梅夫氏に汲み取りを依頼し、日の影町、五ケ瀬町、高千穂町の3町が共同で設置している処理場に投入してもらう計画を立て、延岡浄化槽有限会社に対し、「町立処理施設は間もなく出来るので、暫くの間辛抱して、岩本に汲み取らせるのを認めてくれ。町立処理施設が完成した後の一般廃棄物処理業の指名願いは延岡浄化槽有限会社1社だけしか受け付けないことにする」と約束したので、その約束を確かなものとするために、延岡浄化槽有限会社の代表取締役蓑田三幸氏は、昭和47年6月12日、当時の北方町長甲斐光喜氏との間で覚書を取り交わし、延岡浄化槽有限会社は、暫くの間、北方町でのし尿処理業務を停止することにしました。
  • 日の影町などの3町共同処理場では、北方町のし尿の投入を引き受けるような余裕があったのですね。
  • いや、そんな余裕はなかったようです。
  • それじゃ、どうして北方町のし尿の投入を引き受けたのですか。
  • 北方町では正式に相手方の了解を受けたわけではなく、岩本梅夫氏との密約で、日の影町など3町の共同処理場に投入してもらうように依頼したものです。
  • 無茶な話ですね。
  • 全く無茶な話です。そんなことが許される筈はありません。いくばくもなくそのことが露見し、日の影町など3町共同処理場の能力を超えて投入したし尿による五ケ瀬川の汚濁が問題化したため、岩本梅夫氏は、約4か月後には、北方町のし尿汲み取りの仕事をやめねばならなくなりました。
  • 北方町では、そうなることが予見できなかったのでしょうか。
  • 困ったのは北方町の住民たちです。し尿の汲み取りに来てくれる業者が居なくなったのですからね。
  • そうでしょうね。
  • 延岡浄化槽有限会社には北方町の住民たちから汲み取り依頼の電話がひっきりなしにかかってくるようになり、ついには曾木部落の人たちが町役場に押しかけて抗議するに及んで、延岡浄化槽有限会社では北方町と話し合ったうえで再び北方町でし尿の収集、運搬、処分に当たることになりました。
  • 北方町が、間もなく出来ると云っていたという町立のし尿処理施設は、どうなったのですか。
  • 北方町が単独で設置する計画ではなく、3北町の間で、共同し尿処理施設の設置を検討していたのですが、延岡市のし尿処理施設を増改築して、それを利用することで話がまとまり、昭和47年12月1日、延岡市と3北町の1市3町の間で、延岡市し尿処理施設利用協定書の調印が行われました。その増改築工事が完成したのは昭和49年6月のことです。
  • そこで、ようやく、し尿の収集、運搬業務を業者に委託する段どりとなったわけですね。
  • そうです。
  • 3北町の当時の人口は、どれくらいでしたか。
  • 北方町が約7,000人、北川町が約6,500人、北浦町が約5,700人ほどでした。
  • 合計すれば、1万9,000人余りになりますが、第1次産業が主体の町だということでしたから、自家処理する家が少なくなかったでしょうね。
  • ええ。3か町を合わせて、バキュームカー2台で十分だったようです。
  • それでは、3か町がそれぞれ独自に直営事業として処理に当たったのでは、赤字になるようなところだったのですね。
  • 当時の模様について、北川町長中井平一郎氏が、宮崎県清掃協会会長藤崎金次郎氏からの照会に対して回答した文書がありますが、それによれば、
    「町単独で処理する場合、当町の試算では、初年度において、手数料収入が274万円、設備費、人件費等の支出が1,950万円、差し引き1,676万円の赤字となり、平年度でなお1,100万円の赤字が続くことが明らかとなり、財政上極めて困難であるとの議会よりの指摘を受けています。」
    と述べています。
  • 他の2か町も似たり寄ったりの状態だったのでしょうね。
  • そうです。だから、3北町で1業者に委託する方針をとり、その業者の選定に関しては、北方町が北川、北浦両町の委任を受け、窓口となって処理することになったわけです。
  • さきほどのお話では、北方町の町長は、延岡浄化槽有限会社の蓑田社長との間で、町立処理施設が完成した後の一般廃棄物処理業の指名願いについては、延岡浄化槽有限会社1社だけしか受け付けないと約束していたということでしたね。
  • そのことは、北川、北浦両町の町長も承知していたようです。それを証明する文書も残されています。ところが、その後の改選で北方町長に就任していた藤本重幸氏は、前町長甲斐光喜氏が延岡浄化槽有限会社の蓑田社長との間で取り交わしていた約束を一方的に破棄し、北方町の町議会議員柳田宮治氏が、昭和50年4月1日から3北町のし尿処理業務を受託するため、同年3月14日に設立したばかりの三北衛生有限会社に委託することを決めてしまったのです。
  • 現職の町議会議員が設立した会社に委託したのですか。
  • そうです。その三北衛生有限会社は、本店事務所を柳田宮治氏の自宅に置き、柳田宮治氏が代表取締役に就任していたのですが、同僚議員から、地方自治法第92条の2に定める『関係私企業からの隔離』の規定に抵触すると指摘されたため、代表取締役を辞任し、本店事務所はそのままにして、その妻シゲ子さんを身代わりに代表取締役に就任させた会社ですが、北方町長藤本重幸氏は、そのことを承知の上で同社に委託したものです。
  • 厚生省では、そんな脱法行為は極力避けねばならないと指導しているではありませんか。
  • ええ。厚生省では、昭和40年に清掃法の一部が改正され、市町村が汚物の収集又は処分を市町村以外の者に委託して行う場合の基準が設けられた折に、当時の環境整備課長田中正一郎氏が(財)日本環境衛生協会から発行した≪清掃法の解説≫の32頁以下で、清掃法施行令第2条の2の解釈について、

    受託者の資格については、本条第1号から第4号までに定めるところであるが、直接の受託者資格ではないが、これに密接に関連する規則として、議員及び市町村長の関係私企業からの隔離の規定がある。地方自治法第92条の2は『普通地方公共団体の議会の議員は、当該普通地方公共団体に対し請負をし、若しくは当該普通地方公共団体において経費を負担する事業につきその団体の長、委員会若しくは委員若しくはこれらの委任を受けた者に対し請負をする者及びその支配人又は主として同一の行為をする法人の無限責任社員、取締役若しくはこれらに準ずべき者、支配人及び清算人たることができない。』と定め、また同法第142条は『普通地方公共団体の長は、当該普通地方公共団体に対し請負をし、若しくは当該普通地方公共団体において経費を負担する事業につきその団体の長、委員会若しくは委員若しくはこれらの委任を受けた者に対し請負をする者及びその支配人又は主として同一の行為をする法人の無限責任社員、取締役若しくは監査役若しくはこれらに準ずべき者、支配人及び清算人たることができない。』と定めている。
    これらの規定によって、市町村議会の議員及び市町村長は、受託者となることができない。これらの規定に反してこれらの者が受託者となった場合には、委託契約そのものは有効であるが、同法第127条又は第143条の規定により議員又は市町村長としての職を失うことになる。議員又は市町村長の配偶者又は子弟が受託者となることは、一般に禁止されているわけではないが、議員や市町村長がそれらの者の受託業務について実質的な支配力を有し、実質はその議員や市町村長が受託しているのと異ならないような場合には、これらの規定の脱法行為であって、そのような事態は極力避けられねばならない。

    と述べていましたし、この事件が発生した当時は、清掃法から廃棄物処理法に改められていましたが、清掃法施行令第2条の2に定められていた『汚物の収集及び処分の委託の基準』は、廃棄物処理法施行令第4条に『一般廃棄物の収集、運搬及び処分の委託の基準』として、廃棄物処理法向けに字句を改め、受託者の資格が第1号から第4号までに定められていたのを第1号から第3号までに整理しただけで、内容は少しも変わらないまま受け継がれており、環境整備課が編集し、日本環境衛生センターから発行した≪廃棄物処理法の解説≫の初版でも、61頁以下に同文の解説をしていました。この解説は、昭和61年10月1日に発行された同書の第6版でも変わっておりません。
  • 北方町長は、厚生省の指導などお構いなしに、現職の町議会議員がその妻を身代わりに代表取締役に仕立てた会社に、それを承知で委託したわけですね。
  • そうです。
  • 延岡浄化槽有限会社には、前町長との約束を反故(ほご)にされても仕方がないような落ち度でもあったのですか。
  • いや、別に廃棄物処理法の規定に違反したことはなく、北方町はもとより北川町、北浦町のどこからも、一度も警告を受けたことなどなかったそうです。従って、北方町長による約定破棄は、延岡浄化槽有限会社に何らの落ち度もなかったにもかかわらず、北方町長が一方的に行った背信行為と云わねばなりません。
  • 北方町長がとった行為は、明らかな約定違反ですね。
不公平な損失補償
  • 前に述べましたように、3北町で、昭和41年8月以来、し尿の収集、運搬、処分を業として行ってきたのは、延岡浄化槽有限会社だけでした。
  • ほかに業者はいなかったのですね。
  • 北浦町に、隣接している大分県から時おり廻ってきていた業者がいたそうですが、昭和45年春ごろから姿を見せなくなり、その後、北浦町の区域で営業を始めた者もいたが、北浦町だけで採算がとれる筈はなく、ひとりは約3か月で、他のひとりも約6か月で廃業したということです。ところが、宮崎市に本拠を置く石川長利氏が、昭和48年4月16日に有限会社北方衛生公社を設立し、北方町に営業所を構え、3北町の全域にわたってし尿の収集、運搬、処分を業として行うようになり、3北町がし尿処理業務の受託者を選定しようとした時点では、3北町の区域内でし尿処理業務に従事していた業者は、延岡浄化槽有限会社と、有限会社北方衛生公社の2社になっていました。
  • さきほど、3北町が延岡市との間で延岡市し尿処理施設利用協定を結んだのは昭和47年12月のことだと云われましたが、そうすると、石川さんは、3北町のし尿処理施設の設置計画が発表されて間もなく有限会社北方衛生公社を設立し、3北町の区域内で営業を開始したことになりますね。
  • そのころ、3北町では、延岡浄化槽有限会社が2台のバキュームカーを使ってし尿の処理に従事しており、3北町のし尿の収集量から計算して、それ以上の車両を必要としない状態にあったのですから、宮崎県環境保健部長が、廃棄物処理法が施行された直後に、県下の市町村長に宛てて『廃棄物の処理について』と題して通知した注意事項を守り、有限会社北方衛生公社が3北町の区域内でし尿処理業を開始したのを取り締るべきでした。
  • そうですね。北方町では、町長が、延岡浄化槽有限会社に対して、町立のし尿処理施設が完成したら、一般廃棄物処理業の指名願いについては延岡浄化槽有限会社1社だけを受け付けると約束していたのですから、その約束は守らねばなりませんし、そのときの障害になることが明らかに予測されるような他の業者の町内での営業を黙認してはいけませんでしたね。
  • そのとき取り締まっておれば、それから2年足らずのうちに石川氏に600万円の補償金を支払う必要はなかったのですからね。
  • 石川さんに600万円の補償金を支払ったのですか。
  • ええ。
  • 延岡浄化槽有限会社に対しては、どうしましたか。
  • 1円の金も払っておりません。
  • 石川さんには、どんな名目で支払ったのですか。
  • そのときの覚書の写が私の手許にありますので、内容を紹介しましょう。
    覚書には、次のように書かれています。

    覚書

    北方町、北川町、北浦町(以下三北町という)に於けるし尿処理関係について、昭和50年1月18日、北方町役場において、宮崎県浄化槽管理事業協同組合理事長石川長利と、北方町長藤本重幸に於いて、次のとおり協議成立した。

    1. 石川氏関係については、三北町におけるし尿処理に必要とするバキュームカー2トン車1台、4トン車1台及び既設処理施設を含めて、その代償600万円を支払う。
    2. 日の影町の岩本梅夫氏関係については、北方町において別途交渉をもって解決を図ることを了承する。
    3. 蓑田氏関係については、本協議に関係ないことを確認する。したがって蓑田氏の単独の措置によるものであることを確認する。
    4. 第1項については三北町に協議の必要があるので、その協議を得て確定するものであること。以上の通り合意に達したことを確認し署名する。
    昭和50年1月18日  
    宮崎県浄化槽管理事業協同組合理事長 石川長利 印
    宮崎県東臼杵郡北方町 北方町長 藤本重幸 印
  • 石川さんの肩書きは有限会社北方衛生公社代表取締役ではなくて宮崎県浄化槽管理事業協同組合理事長となっていますが、これはどういうことですか。
  • 肩書きは宮崎県浄化槽管理事業協同組合理事長となっていますが、捺印している印鑑は『延岡環境整備工業(株)代表取締役印』です。どちらも3北町には関係がありません。ここでは、3北町で営業していた有限会社北方衛生公社の代表取締役として署名捺印しなければならなかったものです。
  • 石川さんに対する600万円について、北川、北浦両町は同意したのですか。
  • 北方町が230万円、北川町が200万円、北浦町が170万円をそれぞれ負担することで話がまとまり、昭和50年3月29日、北方町の助役高瀬福義氏が、延岡市昭和町の延岡環境整備工業株式会社事務所に持参して石川氏に手渡ししています。
  • 600万円は、バキュームカー2トン車1台、4トン車1台及び既設処理施設を含めた代償となっていますが、2台のバキュームカーは、どの程度のものだったのですか。
  • 2台とも、その年の4月1日から3北町のし尿処理業務に従事することになった三北衛生有限会社が譲り受けて使いはじめたものの、2トン車の方は僅か2か月余りで使えなくなり、4トン車の方も8か月後には使用に耐えなくなり、そのため、三北衛生有限会社では、その年の12月3日に3トン車1台、2日後にまた3トン車1台を購入しなければならない羽目になりましたが、その当時、宮崎県内の業者仲間では、2台合わせて10万円の値打ちもないと云われていた車だったそうです。
  • 既設の処理施設というのは、素掘りの貯溜槽のことでしょうね。
  • そうです。石川氏は素掘りの貯溜槽を1か所だけ設置していましたが、その貯溜槽に要した経費の弁済分を含めているという意味です。この覚書を取り交わした時点では、既に3北町のし尿処理施設が完成していて、三北衛生有限会社ではそのし尿処理施設に投入することが出来るようになっていたのですから、石川氏が設置していた素掘りの貯溜槽を使用する必要もなく、使用すべきでもない状態になっていました。従って、これは、石川氏が設置していた素掘りの貯溜槽に要した経費を弁済するためのものであったことは明らかです。
  • 素掘りの貯溜槽には、どれくらいの経費がかかったのでしょうか。
  • 大きさによって違いますが、その当時、宮崎県下では、平均的なもので、素掘りの貯溜槽を設置して維持するために要する経費は、満杯になった後で覆土する費用を加えて1か所20万円くらいが相場とされていたそうです。
  • それでは、バキュームカー2台を引き取るための費用が10万円、貯溜槽1か所の経費の弁済が20万円として合計30万円、それを差し引いた570万円は、石川さんの業務廃止に伴う損失補償として支払われたことになりますね。
  • そういう計算になりましょう。
  • 覚書第2項の岩本梅夫氏……この人は、北方町長に頼まれて、4か月ばかり北方町のし尿の処理に当たったということでしたが、この人とは別途に交渉して解決を図ることになっていますが、どうなりましたか。
  • 別途に交渉したという話は聞きませんでした。
  • 覚書第3項の蓑田氏関係というのは、延岡浄化槽有限会社のことですね。
  • そうです。
  • この覚書によれば、延岡浄化槽有限会社については石川さんに支払った600万円とは関係がなく、別個に単独の措置をすることを確認するとありますね。
  • ところが、補償の措置は講じていませんでした。
  • おかしいですね。石川さんは昭和48年4月から2年足らずの実績しかないのに、延岡浄化槽有限会社の方は昭和41年8月から8年半以上の実績があったのでしょう。
  • そうですよ。その間、延岡浄化槽有限会社では、石川氏と同じように2台の車を使い、貯溜槽は、石川氏が1か所だけ設置していたのに対して、延岡浄化槽有限会社では9か所も設置していたのですから、石川氏に600万円の代償を支払ったのであれば、延岡浄化槽有限会社に対してはそれ以上のものを支払うべきだと見るのが妥当でしょうね。
  • それに、北方町長は、町のし尿処理施設が完成した後の一般廃棄物処理業の指名願いは延岡浄化槽有限会社1社だけを受け付けるという約束の文書まで与えていたのに、それが前町長のときのことであったとはいえ、その約束を一方的に破棄しておいて、1円の金も支払わずに放置するとは、非道の仕打ちというほかありませんね。
損害賠償請求事件のてんまつ
  • 私が、清掃問題研究会のメンバーである藤崎金次郎氏から、延岡浄化槽有限会社の件で相談を受けたのは、3北町が延岡浄化槽有限会社を廃業に追いやってから既に3年近く経過した昭和53年2月のことでした。
  • それじゃ、処分の取り消しを求めて提訴するには遅すぎましたね。
  • ええ。行政事件訴訟法第14条に、「取消訴訟は、処分があったことを知った日から3箇月以内に提起しなければならない」と定められていますからね。
  • 損害賠償の請求の方は、まだ時効にはなっていなかったのですか。
  • 国家賠償法では、国家賠償請求権の消滅時効については民法の規定によるものとされており、民法には第724条に、「不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知りたる時より3年間これを行わざるときは時効によりて消滅す」という規定があります。公務員の不法行為による損害を知った時からまだ3年経っていなかったので、時効にはなっていませんでした。
  • 延岡浄化槽有限会社では、どうして、それまで放っておいたのでしょうか。
  • 放っていたわけではなく、北方町に対して異議を申し立て、相手にしてくれないので、ある弁護士に資料を預けて相談もしていたようです。
  • それでも、そのままになっていたわけですね。
  • 私は、早速、北方、北川、北浦3町を訪ねて、各町の町長や助役に会ってみました。その結果、北川、北浦両町では、3北町の窓口として委任していた北方町の当時の助役高瀬福義氏の報告を鵜呑みにし、北川町では分担金200万円について、北浦町では分担金170万円について、それぞれ町議会で、廃業させる業者……石川長利氏の有限会社北方衛生公社だけでなく、蓑田三幸氏の延岡浄化槽有限会社を含めた業者全員に対する補償金と、受託者に対する車両購入補助金であると説明し、町議会の承認を得て執行したものであること。北方町では分担金230万円について、受託者に車両購入費を補助することによって廃業する業者の補償問題も解決すると説明して、町議会の承認を受け、執行したものであることがわかりました。
  • それでは、北川、北浦両町では、北方町長が石川さんとの間で覚書を取り交わし、600万円は、その覚書に基づいて石川さんだけに支払われていたことは知らなかったのですか。
  • そうです。北方町でも、石川氏との折衝に当たった当時の高瀬助役は辞めて、助役が交替しており、新しい助役はその事情を知らなかったようです。そこで前の北方町長甲斐光喜氏が、延岡浄化槽有限会社の代表者蓑田三幸氏との間で、町立処理施設が完成した後の一般廃棄物処理業の指名願いは延岡浄化槽有限会社1社だけを受け付けることを約束した昭和47年6月12日付の覚書と、当時の北方町長藤本重幸氏が、石川氏との間で、600万円は石川氏だけに対する代償として支払うもので、延岡浄化槽有限会社の蓑田氏には関係がなく、蓑田氏については単独の措置によって解決することを確認して署名した昭和50年1月18日付の覚書の双方を示して話し合ったところ、3北町とも、延岡浄化槽有限会社に補償金を支払わねばならないことは納得してくれました。
  • しかし、3か町とも、町議会にこれで業者補償の件はすべて解決するからと説明して、それぞれの分担金の支出を承認してもらったいきさつがあるだけに、困ったでしょうね。
  • ええ。3か町とも、今さら補償しなければならない業者がまだ残っていたなどとは云えない、と困り果てた様子でした。
  • そうでしょうね。
  • 結局、裁判所に調停を申し立て、裁判所の調停に従うという形式をとるほかあるまいということになり、双方合意のうえで延岡簡易裁判所に調停を申し立てることにしました。しかし、補償金の金額について折り合いがつかなかったため調停は不調となり、やむなく、延岡浄化槽有限会社では、昭和53年8月、北方、北川、北浦3か町を相手として、2,400万円の損害賠償を求める訴えを起こし、宮崎地方裁判所延岡支部の法廷で争うことになりました。
  • 裁判沙汰になることは出来るだけ避けねばなりませんが、どうしても話し合いで解決しないときは、提訴するほかないでしょうね。
  • 提訴ともなれば、話し合いで了解していた事項についてさえ異論を唱えるものです。審理はなかなかはかどるものではありません。市町村の側では、どんなに審理が長引いても、訴訟費用は公費でまかないますし、市町村の担当者たちは、訴訟事件のために裁判所に出向くにも、弁護士と打ち合わせるために役場を離れても、必要な経費は支給されるし、給料にひびくことなどありませんが、業者の側では、訴訟費用は自弁ですし、口頭弁論期日に裁判所に出頭するためには仕事を休まねばならず、仕事を休めば直ちに収入に影響します。もちろん、それも困ったことに違いありませんが、それよりも、市町村の委託を受け、または市町村長の許可を受けて業を行う立場にある業者にとって大変なことは、市町村を相手として訴訟を起こせば、訴訟相手以外の市町村の関係者からまで白い眼で見られるということです。
  • そんなこともあって、ひと昔前の業者たちは、訴訟を起こすようなことはせず、泣き寝入りしていたのですね。
  • そうです。しかし、行政庁から不当な処分を受けて泣き寝入りしていたのでは、それが悪い前例となって、同じようなやりかたで近隣の業者仲間が苦しめられることになりかねません。勇気を出して、法廷で行政側の非を明らかにすれば、逆に、それが良い前例となって、近隣の業者仲間が同じようなやりかたで苦しめられることもなくなりましょう。延岡浄化槽有限会社の蓑田社長は、それを考えたからこそ訴訟に踏み切ったのだ、と私に語ってくれました。
  • その裁判の結果はどうなりましたか。
  • 第5回口頭弁論の際に和解を勧告されて、これに応じ、昭和54年9月11日、3回目の話し合いで和解が成立し、事件は解決しました。
  • どんな条件で和解したのですか。
  • 和解条件は、
    1. 3北町は延岡浄化槽有限会社に対して金300万円を支払う。
    2. 延岡浄化槽有限会社所有車両のうち1台を三北衛生有限会社が金100万円で買い取る。
    3. 3北町は、昭和54年9月中に、それぞれの町議会の承認を受け、同年10月1日調印の上、金300万円を支払い、三北衛生有限会社は、同年10月15日に金100万円を支払い、車両を引き取るものとする。
    という内容でした。
  • 石川さんに対しては2台の車両と貯溜槽1か所の代償を含めて600万円を支払ったのに、延岡浄化槽有限会社に対しては1台の車両と貯溜槽9か所の代償を含めて400万円というのは、少し安すぎたのではありませんか。
  • そうですね。しかし、延岡浄化槽有限会社の蓑田社長は、最初から、取れるだけ取ろうという考えではなかったようです。行政側がとった行為が正当ではなかったことが証明されて、似たようなことで県内の仲間の業者たちが苦しめられるようなことがなくなればよい。多額の多寡は問題ではないとも云っていました。弁護士を訴訟代理人に頼まなかったのもそのためだったようです。それに、3北町では、既に昭和50年に、それぞれ町議会に対して、これで廃業する業者に対する補償問題はすべて解決すると説明して、分担金の支出の承認を受けているのに、補償金を支払わねばならぬ業者がまだ残っていたからと、再び町議会に提案しなければならない当局者の立場も考えて、それ以上ねばる気にはならなかったのでしょうね。
  • 結局、3北町は、さきに石川さんに600万円の補償金を支払い、今度は延岡浄化槽有限会社に対して300万円の賠償金を支払うことになり、合わせて900万円の出費となったわけですね。
  • そうです。3北町が、廃棄物処理法の施行に当たって適切な指示を与えていた宮崎県環境保健部長通知の趣旨に従い、その当時3北町でし尿の収集、運搬、処分を業として行っていた唯一の業者である延岡浄化槽有限会社に許可を与え、その後、石川長利氏が営業を開始した時点で、これを取り締まり、3北町の処理施設が完成したところで、受託業務を遂行するに足りる施設も持たず、受託しようとする業務に関して経験もない町議会議員の配偶者に委託するというような政令に反することをせず、北方町の前町長が約束していたことを守って延岡浄化槽有限会社に委託しておれば、900万円もの金を無駄に支出する必要はありませんでした。法規に無頓着であった町長たちが犯した違法な行政処分のツケは、罪とがもない住民たちの血と汗の結晶である税金をもって支払わねばならぬ結果となったわけです。
  • その当時、3北町の住民たちが、この間の事情を知っていたら、おそらく黙ってはいなかったでしょうね。
  • 次回は、行政庁が裁量権の範囲を逸脱して、許可すべきものを不許可処分にしたため、7,500万円の賠償金を支払う羽目になった事例を紹介しましょう。